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純犬種とブリーダーの仕事
競走馬を創り出す過程に“フィッツラックの血量18.75%理論”という言葉があります。この【血量18.72%】とは、輝かしいタイトルを取得した名馬のひ孫と玄孫世代を掛け合わせると誕生するといわれ、その仔馬は名馬の遺伝子を18.72%所有し、名馬の能力を最大限受け継ぐとともに、遺伝による悪影響を最も受けないとされ、まさに、奇跡の血量といわれています。
競走馬の世界ではその奇跡の血量18.75%に着目し繁殖が行われているのですが、では、わたし達の身近にいるワンちゃんは一体どうなのでしょうか。
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まるで中世の王族貴族のような家系図??
<画像は、親▶子▶孫▶ひ孫▶、そして、ひ孫と親を掛けあわせた図です。本は遺伝子を、パーセントは母犬との遺伝子一致率を表しています。>
ある研究で、【純犬種とその親族の異なる遺伝子の所持率、平均22%】、【人とその親族では71%】、【ミックス犬とその親族では57%】、という結果が報告されています。言いかえると、【純犬種の遺伝子一致率が78%、人では29%、ミックス犬では43%】を表しています。
上の図で、母犬を基準に考えると、その子犬は母犬の遺伝子を50%持っています。この%が遺伝子の一致率です。図の中で、研究結果と同じ遺伝子一致率78%に近づけるには親子の交配を行なってやっと75%の一致率です。
純犬種として望ましい姿を維持するためには、似通った遺伝子を掛け合わせる必要があるとはいえ、その血は異常なほど濃くなっています。研究所に集められた純犬種とその親族の中には、異なる遺伝子所有率が平均4%、つまり、遺伝子一致率96%のワンちゃんも居たそうです。
このような数字を聞くと、いとこ同士の結婚を繰り返していた中世の王族、貴族の家系図でも見せられているようです。
遺伝による疾患の表面化
図2は、身体に悪影響を及ぼす遺伝子をもった犬の発症率を表した家系図です。身体に悪影響を及ぼす遺伝子を鍵と鍵穴で表しています。鍵と鍵穴で表した理由は、どちらか一方しか所持していない場合、その遺伝子の鍵は開かない=発症しない、ということを意味しています。
図では、父犬は鍵、母犬は鍵穴を所持しています。この両親はそれぞれ、一方しか所持していないため、いたって健康体で、身体に悪影響を及ぼす疾患は発症しません。
しかし、そんな健康体の両親から生まれた子犬を見て下さい。鍵と鍵穴を受け取った子犬が産まれているのがお分かりでしょうか。確率で言うと、4匹のうち1匹という高確率で、その両方を受け取る子犬が産まれます。
そして両方を受け取った子犬は、確実に成長の過程でその鍵を開ける(発症する)ことになります。産まれてすぐに鍵を開けないところもこの遺伝子の非常に厄介なところで、大抵の場合が、生後6ヶ月〜12ヶ月以降から徐々に鍵を開け始めます。
現在の“純犬種”において、健康な体を持つ純犬種の大多数が何かしらの疾患の鍵と鍵穴のどちらかの遺伝子を所持しており、所持していない純犬種はいないと言ってしまっても過言ではありません。
図の、紫色の犬は他の家系からやってきた犬ですが、やはり鍵を持っています。たとえ発症していない犬と掛け合わせたとしても、母犬から鍵穴を受け継いでいるため、発症する子犬がやはり産まれてしまいます。
母犬が3種類の疾患の遺伝子を持っていた場合
父犬はAという鍵を持ち、母犬はABCの3種類の鍵穴を持っていたとします。その子犬は3種類の鍵穴を受け取っていますが、父犬から1種類の鍵しかもらっていないため、発症する疾患はAのみの1種類です。
次に、発症した子犬は繁殖ラインから外し、その右側にいる子犬について見てみましょう。母犬から3種類の鍵穴を受け取った子犬と他の家系の犬とを掛け合わせます。他の家系から来た犬はBという1種類の鍵をもっていたとします。するとその子犬はBという疾患のみの1種類が発症します。
次に孫と母犬を掛け合わせた時、何が起こるか見てみましょう。
母犬が持っていたABCという3種類の鍵穴は、孫が持っていた鍵穴ABCと見事に一致します。そして、この一致した遺伝子は相補的に姿を変えます。ABCの鍵穴の一方は、ABCの鍵に変身して、見事に全ての鍵を開けてしまいます。
これが近親交配の本当に怖いところなのです。
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遺伝的疾患は健康な親犬から受け継ぐ
1960年頃、遺伝性の強い疾患の1つ【股関節形成不全】の発症率はピークを迎えていました。この疾患は股関節の臼と杵の不整合による疾患で、【図2】の例に当てはまる疾患でもあります。
当時、遺伝に関する研究がそれほどすすんでおらず、この疾患の発症の原因が、ビタミン不足や栄養過多によるもの、という不確かな情報が流れていました。そのため生後3ヶ月を迎える頃に子犬の餌や量の変更を勧めるブリーダーも多くいたようです。
しかし、遺伝性の強いこの疾患は、体重増加で症状が悪化することはあっても、太り過ぎで発症するものではありません。健康な両親から確実に鍵と鍵穴を受け取っている子犬が発症します。
この疾患の発症率が高いとされるジャーマン・シェパード・ドッグは、ピーク時で約50%の発症率を有し、このままではいよいよ犬種が維持できなくなるという時期がありました。ジャーマン・シェパード協会(通称SV)に第一号のジャーマン・シェパード・ドッグが登録されてからおよそ60年ほど経った頃のことです。
そこで、ヨーロッパの優良なブリーダー達の間で、繁殖前にX線検査を行ないその結果をもとに繁殖可否を決め、発症数を根本から減らす試みが始まりました。この取り組みにより、約50%の発症率が28%にまで低下したと報告も上がっています。
遺伝に関する研究が進んだ今でも、この股関節形成不全の予防には繁殖前のX線検査が最も有力な予防策と知られています。なぜなら、図2の通り、“健康な親犬からでも、発症する子犬が生まれる”からです。
股関節形成不全だけではありません、純犬種に蔓延している遺伝的疾患の多くが、親が健康で発症していないのは、実はものすごく当たり前のことなのです。
鍵がすでに開いている遺伝子もある
ドーベルマン、プードル、ジャーマン・シェパードに多いとされる疾患で【ヴォン・ヴィレブランド病】という止血異常の疾患があります。これは鍵と鍵穴で例えるなら、すでに鍵が開いている遺伝子による疾患で、オスが発症しやすい傾向があります。
図では、父犬がこの遺伝子を持っていたとします。この遺伝子は、鍵のかかっていない遺伝子です。つまり、鍵を必要としないため、父親から遺伝子を受け継いだ子犬全員が発症します。
ここまではっきり現れる疾患は、逆に発見され易く、“親犬は健康”という盾に隠れている【鍵と鍵穴】の疾患ほどややこしくはありません。
最後に
繁殖において本当に重要なことは、繁殖犬とする親犬の兄弟とさらにその親犬の兄弟の遺伝的疾患発症の記録や検査、譲り渡した飼い手からの疾患発症有無の情報収集を徹底的に行なうことです。あえて言うまでもありませんが、親犬が健康なのは最低限の基準です。
犬のルックスを理想に近づけることもたしかにブリーダーの仕事であり、そのために似通った血を掛け合わせるのは至極当然のことなのかもしれません。しかし望ましい姿に基づいて犬を選び、繁殖し、ショーでどれだけ好成績を得られるかという競い合いだけでなく、ルックスを維持しつつ、遺伝子の一致率(近親交配)が招く遺伝的疾患をどれだけ抑えられるか、というところに、犬の将来を見据えた、本当の“繁殖”の醍醐味があるのではないでしょうか。
<図2,3はヘテロ接合体による常染色体劣性遺伝、図4はホモ接合体による常染色体優性遺伝子、図2では1つの疾患に着目、図3の3種類の遺伝子は、全て同じ染色体上にあるものとし、確率はメンデル遺伝の法則に則り、組み換えや乗り換えは無いものとしています。>
<参考文献>