今やヨーロッパでは、バーニーズ・マウンテン・ドッグに匹敵するほどの人気を博しているこの犬種の名は【レオンベルガー】という。
全身を覆うライオンコートにブラックマスク。威風堂々という言葉は、まさに彼らのためにあるような言葉だろう。性格は、威厳に満ちたその容姿からは想像できないほど、穏やかで寛容だ。
人気犬種になるべくしてなったといえるレオンベルガー。しかし、彼らの始まりは“順風満帆”とはいかなかった。
ヘンリッヒ・エッシス氏とレオンベルガー
出典 zeitreise bb
写真はヘンリッヒ・エッシス氏と彼のレオンベルガーである。
レオンベルガーは、マーケティングと広報において天賦の才を発揮したヘンリッヒ・エッシス氏(Heinrich Essig (1809-1889)の熱狂的な努力から誕生した。
彼は、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州レーオンベルクの市議会議員であり、また、1年あたり200匹〜300匹の犬の売買を行なうアニマルトレーダーとしての顔も持っていた。そんな彼が望んだ新しい犬種は、強靭なメンタルと体躯、長距離貿易にも耐えうる頑丈さと水にも臆しない図太い気質を併せ持った新種の作出だった。
選んだ純犬種たち
この新しい犬種の作出において、彼が土台として選んだ犬種は、
水難救助犬として活躍していた黒斑のニューファンドランド(ランドシーア)、雪中遭難救助犬として使用されていたセント・バーナード、そして、家畜の群れや羊飼いの家族をクマやオオカミなどから守るという役目を与えられていたグレート・ピレニーズだった。
ブリーディングをはじめ6年後の1846年、最初の【レオンベルガー】が誕生した。
名前の由来は、レーオンベルク市とその紋章に因んだものである。
出典 Leonberg
50年の歳月とレオンベルガー
新しい犬種が誕生するためにかかった月日がたった6年、これは凄いことである。そのため、しばしばレオンベルガーの起源において、“神話的な”、“輝かしい”、“まさにバラ色の道のり”などと語られた時期もあったようだ。
しかし、本当の問題はここからはじまった。
レオンベルガーの仔が、レオンベルガーにならないのだ。
つまり、レオンベルガー同士を掛けあわせたとしても、その仔をレオンベルガーたるものに維持できなかったのだ。
純血種を掛け合わせて作出されたレオンベルガーの仔を作るには、また、同じ純血犬種を掛け合わせねばならないという事態に陥っていた。よくよく考えれば当たり前のことだが、到底、これでは新しい犬種の誕生とは言えなかった。
純犬種同士を掛けあわせて生まれた仔、つまり【ミックス犬】を新しい犬種として固定させるということは、実は、数ある繁殖の中でも最も難しいことなのだ。
ヘンリッヒ・エッシス氏は、この時から、この種に願った強靭なメンタルと体躯、備えたい見た目の特徴や気質、1つ1つを抜き出すためのブリーディングをはじめた。それは、語るに容易く、実際には非常に難しい道のりである。
ヘンリッヒ・エッシス氏は莫大な資金と時間を費やした。しかし、新しい犬種として定められた【レオンベルガー】の姿を見ること無くその生涯の幕を閉じた。すでに50年近くの歳月が過ぎていた。
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レオンベルガー(leonberger)の誕生
ヘンリッヒ・エッシス氏の意志を引き継いだ者達の努力によって、ついにオリジナルの犬種【レオンベルガー】が犬種として認められた。ヘンリッヒ・エッシス氏の死から数年経った1895年頃のことである。
レオンベルガーは純犬種達の能力をこれでもかと受け継いだ。
ニューファンドランドからは水難救助犬としての能力を、セント・バーナードからは雪山遭難救助犬の能力を、グレート・ピレニーズからはクマや狼と対峙する強さをもらった。
全く新しい犬種【レオンベルガー】の誕生である。
ヘンリッヒ・エッシス氏がこの種に願った気質、【強靭なメンタル】と【体躯】を、レオンベルガーは兼ね備えている。
一切物怖じしない姿は見る人に、寛容さ朗らかさを強く印象づける。(寛容過ぎて番犬には向かないという声も上がるくらいだ)
一時はミックス犬だと悪態をつかれたこともあった。しかし、彼らがなぜこれほどまでに家庭犬として高い評価を得ているのか、これ以上言うまでもないだろう。
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